connecter原宿店 店長

豆塚浩司 (26歳)

元保育士の異端児

「実は僕、保育士やってたんですよ。」

いきなり、衝撃の告白。甘いルックスにモデルのようなスタイル。アパレルショップであるconnecter原宿店の店長を務めるこのオトコが、わずか2年前まで保育士だったと誰が想像できるだろうか?

「保育士を地元で5年やってましたね。そのちょうど4年目くらいから、connecter町田店で時間があるときに働かせてもらってました。もともとファッションが好きというのもありましたし・・・。」

しかし、なぜまた保育士をしていたのだろうか。

「短大に進学するまでは、ずっと地元の神奈川にいたんですよ。公立の小・中・高に行ってまして。それで、高3の進路を決めるときに、子供好きというのもあり、保育士になろうと決めて短大に行きました。スーツを着て、パソコンの前に座っている自分というのがイメージできなかったというのもあります。」

そして、保育士になり、学生時代の夢を叶えた自分がそこにはいた。

「でも、短大を卒業して実際に就職するときは悩みましたね。洋服が好きだったので、アパレルの道に進もうかとも思いました。」

保育士かアパレルか。保育士を選択した背景には、ある人からのアドバイスがあったという。

「当時は働きたいアパレルショップがあったんですが、せっかく保育士免許という国家資格を取ったんだから、まずは保育士をやりつつ、趣味でアパレルをやればいいんじゃないかと知り合いにアドバイスを受けまして。知り合いというのは、当時自分が働きたいと思っていたお店のスタッの方です。それでもアパレルをやりたければやればいいと、アドバイスを受けました。」

結果として、豆塚はアパレルより保育士を選んだのだ。

「実を言うと、保育士をやり始めた時もまだアパレルに未練はありました。でも、中途半端が嫌だったんで、3年くらいはその未練を捨てて保育士一本でやりました。」

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アパレルへの未練を持ちつつ、保育士として仕事に没頭していた当時の豆塚。
しかし、転機は急にやって来る。

「ちょうど保育士になり3年が過ぎたあたりですかね、今のconnecter町田店と出会いまして。まだオーナーが店頭に立って接客している時で。アットホームな感じで、働くならここがいいなって自然に思いました。アットホームな感じが好きなんですよね。学生の時に働きたかったお店も、そんな感じでしたし。」

やっと巡り会えた、アットホームで居心地のいい場所。保育士になり約3年、満を持して豆塚は、時間があるときにconnecter町田店の店頭に立ち始める。保育士の仕事をしながらの二足のわらじ。不安はなかったのか。

「特別、不安はなかったですね。保育士もアパレルショップも、人を相手にするという点では同じですし。」

connecter町田店のスタッフを経て、connecter原宿店の店長に就任するため、豆塚はついに保育士を辞める決断をする。保育士を5年やったあと、豆塚はついにアパレルの世界に本格的に飛び込んだのだ。当時の心境を、豆塚はこう振り返る。

「気持ちの変化はなかったのですが、仕事内容が町田店の時と比べて変わりましたね。売上を含めて数字をかなり意識するようになりました。それと、うちは回転率で勝負する店ではないので、ひとりひとりのお客様を本当に大切にするように意識しました。」

今流行りの、ファストファッションとは真逆のやり方。また、connecterには独特の接客スタイルがあるようだ。

「ここでは、お客様をゲスト、スタッフをキャストと呼んでいます。」

まるで、ディズニーランドのようである。確かに、connecter原宿店に来るお客さんは皆、洋服を買いに来ると同時に、豆塚を含めたスタッフに会いに来ているという印象を受ける。お客さんは皆、まるで我が家に帰ってきたというような、何かほっとしたような表情をしている。

「ゲストの方にはもちろん喜んで帰ってもらいたいですし、ゲストとスタッフの関係作りにはかなり力を入れてます。」

connecterの躍進の秘密は、まさにそういうところにあるのだろう。

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多忙な日々を過ごす豆塚だが、普段はどのような生活を送っているのだろうか。

「仕事がある日は、だいたい10時くらいに起きてますね。仕事場まで電車で1時間かかりますし。仕事が終わった後も、遊びに行ったりはあまりないですね。お酒もそんなに強くないので。休日は結構出かけます。美術館とか。あとは、洋服を作ったり、リメイクしたりしてます。」

洋服作り・・・。お洒落なオトコは、趣味もお洒落である。

「いや、洋服は自分が作るというよりも、ガールフレンドが作れるんですよ。うちの店にもたまに置いてありますよ。」

お店で実際に見せてもらったが、ほとんど売れてしまったらしく、最後の1着しかなかった。豆塚は、昔からファッションが好きだったのか。話は過去に遡る。

「小・中・高は、神奈川県の大和という場所にいました。その後、厚木にある短大に行きました。ずっとバスケ部だったんで、バスケばかりしてましたね。当時の服装は、古着が多かった気がします。」

古着を身にまとい、バスケに熱中する美少年。

「短大に進学してからは、奇抜というか、変わった洋服も着てましたね。変形ものというか・・・。あと、裏原系も着てました。本物は高くて買えないので、偽物を買ってました(笑)。当時はアルバイトをしていたんで、給料でよく洋服を買ってました。スーパーのイオンでバイトしてたんですよ。」

豆塚がイオンとは、なかなか想像しにくい。

「今はどうか分からないですけど、当時は給料が良かったんですよ。給料の大半は、洋服代に消えてましたね。短大の二年間は、授業とバイトであっという間でした。」

やはり昔からファッションは好きだったようだ。そんな豆塚に、今のファッション業界について聞いてみた。

「ファストファッションの人気は続くとは思いますが、それでは満足できない人たちが出てきているので、そこから新しいイノベーションが生まれると思いますね。感度が高い若い子達が増えてますし。うちのお客さんは高校生なんかも多いのですが、本当におしゃれな若い子が多いと思います。彼らは自由にファッションを楽しんでますね。」

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数多くのアパレルショップが乱立するファッション激戦区である原宿。connecterの今後を豆塚はこう語る。

「もともとconnecterは、「パーソナルセレクトショップ」というコンセプトのもとにオーナーが始めたお店です。ですので、そこは極めたいと思いますね。もちろん、お店の新規出店も考えてますので、どんどん攻めて行こうとは思ってます。」

connecterの今後の展開には注目すべきだろう。ところで、ここまで順風満帆に見える豆塚だが、今まで挫折を経験したことなどないのだろうか。

「挫折と言えるかわかりませんが、connecter原宿店は今年で2年目なんですが、1年目は手探りの状態でかなり大変でした。原宿という町が分からなかったという事もあり、すべてが後手後手の状態で・・・。当時は、半分あきらめというか、まあ、あきらめたらダメなんですけど、そういう状態でした。」

意外な告白。やはり、誰もが壁に当たり、もがき、壊して先に進んでいく。座右の銘を聞いてみた。

「うーん、これと言ったのはないんですが・・・。あえて言うなら、「一期一会」ですかね。人も洋服も出会いを大切にしてます。」

connecterに一歩足を踏み入れれば、豆塚が言う「一期一会」の意味がきっと理解できるはずだ。最後に、おしゃプロの読者にメッセージをもらった。

「今の若い子達は非常におしゃれだと思うし、好きなファッションを自由にすればいいんじゃないかと思います。たとえ、地元で周囲から白い目で見られようと、ファッションに限らず自分の好きなことは貫き通して欲しいと思いますね。そういう若い子達が、どんどん世の中を引っ張って、変えて行くと思いますね。」

日本でも有数のファッション激戦区である「原宿」で、さらなる躍進を続けるconnecterと豆塚浩司。しばらくは、このオトコから目が離せそうもない。